青い目の人形交流について

みなさま、 どうもこんにちは!

えっと、今日はyutktzくん(後輩)からですね、

「うちの高校の放送部の人形交流について説明しろ」と言われましたので…(´・ω・`)

話せば長くなるお話なんですが、できるだけ簡単に説明したいと思いますー!

簡単にといっても、とっても長くなりそうなので…お暇な方はどうぞお付き合いくださいー!

 

太平洋戦争が始まる前、アメリカと日本はあまり仲が良くありませんでした。

そんなとき、せめて両国の子供たちだけには仲良くしてもらいたいと思い、

アメリカの子供たちに日本の子供たちへと、青い目の人形を贈るように呼びかけてくださった方がいました。

それが、シドニー・ギューリック牧師です。

彼が子供たちに呼びかけたことによって、アメリカの子供たちから日本の子供たちへ贈られた青い目の人形は全部で12739体。

この青い目の人形たちは、1人づつ自分のパスポートを持って、日本のひな祭りに間に合うように贈られました。

日本の子供たちは青い目の人形のお返しに、全国の子供たちからお金を一銭づつ集めて、58体の市松人形を贈りました。

しかし、第二次世界大戦が始まると、アメリカから贈られてきた青い目の人形は、

敵国の人形として認識されるようになり、壊されたり、燃やされたりしてしまったのです。

私たちの住んでいる富山県にも、たくさんの青い目の人形が贈られてきましたが、今残っているのはわずか6体だけです。

そんな中、今このプロジェクトを始めたギューリック牧師のお孫さんである、シドニー・R・ギューリックさんがおじいさんのプロジェクトを受け継ぎ、

日本の各地に再び青い目の人形を贈っておられます。

3年前、私たちの学校にもドリスという名前の人形が贈られてきました。

その時に、私たちの先輩がお礼として、「桜」と「剣太」という市松人形を手作りして、アメリカのギューリックさんのところに届けに行きました。

今「桜」と「剣太」は、アメリカにあるアンティータム小学校の玄関に飾られています。

私くじらとクロは、去年の3月に「桜」と「剣太」の様子を見にアメリカに行ってきました。

その際にギューリックさんの家に2日間ホームステイさせていただいたときに、

「私たちの高校のそばに幼稚園があるので、その幼稚園にも青い目の人形を贈ってくれませんか?」とお願いしたところ、

快く承諾してくださり、今回シェリーという名前の青い目の人形を贈って下さいました。

また詳しいことは、近々青い目の人形交流専用のHPができる予定ですので、そちらをご覧いただければ幸いです!

 

ちなみに、シェリーという名前は、うちのクロ部長がつけたものです(`・ω・´)

こういった経緯から、この活動に関わった2年生以上の部員やOB・OGの方の中には、日本人形や西洋人形を怖がる方があまりいませんw

yutktzくんは まだ「気持ち悪い」とか「怖い」とか言ってるので、そのうち制裁が加えられると思います(^ω^)

 

それではみなさま、良い春休みをお過ごしくださいな(*´ ▽ `)ノシ

 

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